日本における葡萄酒の歴史 | |
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深夜のTV番組で日本におけるワインの歴史を紹介していました。 (田崎真也さんが出演していました) なんでも日本にワインが入ってきたのは南蛮人が鉄砲とかを持ってきた安土桃山時代。 その当時のワインはどんなものかよくわからないのだそうです。
江戸時代には薬として売られていたそうで、その材料は日本酒にお砂糖、葡萄の果実。 果実酒みたいな感じだったのでしょうね。 高級日本酒の倍以上の値段が付いていたそうです。
"葡萄酒"というとそうした甘い飲み物というイメージが定着していたせいか、開国後の明治時代の日本人には全然うけなかったようです。 日本人の食卓にワインが現れるのは昭和になってから、しかも戦後だそうです。
日本でもワインが作られていますが、なかなか生食用の葡萄とは別にワイン用の葡萄を栽培する農家がなかったのだそうです。 気候もヨーロッパとは違いますし、果たしてうまくいくのか・・・と誰もが心配でワイン用葡萄の栽培に踏み出せなかったのでしょう。
世界でもフランスやイタリアや・・・あの地域でしか作られないものだと言われていたそうなんです。 しかし、オーストラリアやカリフォルニアなどといった新大陸ワインが出現して人気を博しているのはご存知の通り。
従来の産地とは違う気候風土で葡萄を栽培するために、いろいろな試みをしてきた結果、専門家からもフランス産のワインをしのぐ評価を得たりしているわけです。 なんでも、「国内で消費する分をまかなおう」というのではなくて、他の国に輸出するつもり(従来のワイン産地と張り合うつもり)で作っているのだそうですから、そのあたりの意気込みが違います。
さて、私たち日本人の民族衣装(であった、と言いましょうか)である着物はどうでしょうか。 産地も問屋も、小売店もどんどん廃業しているのが現状です。
海外縫製ができるようになりました。 韓国産大島も作られました。 白生地でさえ海外で作られるくらいです。 でも、国内に新しい産地が出現することは、まずないでしょう。
デジタルプリントで新しくきものを作る会社がいくつか増えただけです。 (そのうち”着られるきもの(着用に耐えられるきもの)”はどのぐらいあるでしょう。)
マスコミはそうした新しい試みばかりを追いかけますが、伝統ある技法を守って、一生懸命きものを作っている人たちがまだたくさんいるんです。 その人たちが手を止めてしまったら、もうその技術は途絶えてしまいます。 一度なくしてしまったものは、カンタンには取り戻せません。
私自身は積極的に海外に着物を紹介しようとは思っていません。 (いろいろ理由はあるのですが・・・) ですから"外国に輸出するつもり"で新しい製法を生み出したり、産地が増えたりしなくて、とりあえずいいと思っています。
ただ、「伝統を守ろう」「技術を保存し次世代に伝えよう」という心意気は、"世界に通用するワインを造ろう"という気概に決して負けないと思うのです。
05年10月10日
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