1月11日号

ブログ   まあだだよ   2016/01/10

象の見た震災の記憶(第3回)

2011年4月に歌津中学校出身者二人と南三陸町歌津に行くことになりました。

取引先のホテルから寄贈していただいた客室で使う消耗品(クリーム、シャンプー等)
ご近所から頂いた衣類

ノートパソコン・モバイルルーター
その他、思いつくものを積めるだけ積んで出発しました。

この時期は高速道路のひび割れが復旧していない場所があったため、注意深く運転する必要がありました。
同乗の南三陸町出身者二人の家族は全員無事なことが前もってわかっていました。

高速道路を降りてからの田舎道は、普通の民家があり、スーパー等が営業してる様子でした。
南三陸町の看板が見えてからも普通の変化のない景色がしばらく続きました。

自衛隊の車とすれ違うようになって景色の変化に気付きました。
道路沿いにひしゃげた車が乗り捨てられていたり、道路脇に山になってる瓦礫を見ました。
この時は、瓦礫という言葉を知りませんでした。
多くの家が流され、そこに町があったことを知ったのはしばらくしてからでした。
防災庁舎のすぐ側を通り過ぎていたことも気づいていませんでした。

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