南三陸町歌津寄木地区のささよ

南三陸町の仲間たち   伝統行事   2014/01/25

このホームページを更新している仲間で、2011年〜2012年にかけて、「南三陸町の仲間たち」というメールマガジンを発行しておりました。
メールマガジンに掲載した寄木地区の「ささよ」という行事の項を、取材・執筆を担当したI氏の許可を得て、こちらに掲載いたします。

「ささよ」について歌詞などを含めた詳細がまとめられらものは少ないので、広くみなさんにご覧いただければと思ってのことです。

メルマガを購読いただいておりました皆様にも、こちらでの公開につきましてご理解をいただければと思います。

また、無断転載はご遠慮いただきますよう、お願いいたします。
このページへのリンクは、ご自由にどうぞ。

◆ 〜南三陸町歌津寄木地区のささよ〜

「ささよ」は南三陸町歌津寄木地区で毎年1月15日に、
小学1年生から中学3年生までの男子が
ハッピを着て、大漁旗を先頭に地区の家々の軒先で唄い込む
町の無形民俗文化財にも指定されている小正月の行事です。

唄われた家では御神酒と御祝儀(お金やお餅、お菓子等)を出します。
大将(年長の子ども)がその御神酒を大漁旗竿の根元に注いで、
海上安全と大漁を祈ります。

例年は地区内の家を回っていましたが、
震災で大きな被害を受けた為に、
寄木地区の家庭はバラバラになってしまいました。
その為今年は、寄木漁港と寄木地区仮設住宅の2カ所のみで行うことになりました。
またハッピも例年は皆、同じささよ専用のハッピを纏っていましたが、
津波で多くのハッピが流された為に、
今年はガレキの中から見つかった2着のハッピと、
登米市から寄贈された特製のハッピを着て行いました。

今年の「ささよ」参加者は5名。
今年の参加者のお父さん達が子どもの頃は30名程いたようです。
昔は子ども達が多かった為、父兄の手伝いをもらわずに、
年長の子ども達が幼少の子ども達に教えて、
この行事を受け継いできたそうです。
「ささよ」の面白い所は、もらった御祝儀(お金や餅、菓子等)を、
大将が参加した子ども全員に分配する所です。
大将が御祝儀を分配するのは、船頭が船子に漁獲高を分配する真似事で、
こうした習慣を身につけながら、子ども達は漁師の世界を覚えていくそうです。

ささよの唄

おめでたい あらよう 三めでたい かさなるとえー
お船玉 あらよう とらせるさかな さずけたまえやー
雨が降る あらよう 船戸にかさを わすれきたどえー
呼べば来る あらよう 呼ばねば来ない せきの水どえー
あれを見ろや あらよう しまかめ山の ゆりの花とえー
けせんざか あらよう 七坂八坂 九坂とえー
十坂めには あらよう かんなをかけて 平らめるとえー
おらが寄木浜 あらよう 漁のある浜だ おめでたいやなー
港入り あらよう ろかいのちょうしいり こむとえー
ささよー よいこーら よいとなーえー
へんややー へんややー へんややー

行事が終わった後に、ささよ保存会の代表の方は
「(自分が)思っていたより10倍の人がささよに来てくれました。
今回、寄木部落以外の方からも御祝儀をいただきました。
震災である程度ささよの形が変わってしまったが、
何年か経って集落がまた元のように戻るかもしれない。
この先子ども達が歌津を出ても、いつでもいいからふるさとへ戻ってこいと言いたい。
ささよを通じてふるさとはこういう所だと感じてもらえればいい。」
と仰っていました。

今年の大将役をやった年長の子どもは、
「小さい頃からの憧れだったので、いつか大将をやってみたいと自然と思った。
小っちゃい頃から(寄木の人達に)お世話になっているので、
寄木の為に出来ることをしたい。
爺ちゃん・父ちゃんから受け取ったものを、受け継いでいかなきゃと責任感が生まれた。
まとめるのが大変だったけど、意識を崩さないように来年もやっていきたい。
自信を持って下の代に受け継いでいけるといい。それが自分達に出来ること。
まだ小さい子達は分からないかもしれないけど、
これからもささよ出来るんだよっていう気持ちを伝えたい。」
と、しっかりとした口調で話してくれました。

少子高齢化の波が寄せた所に、昨年の東日本大震災による津波被害。
寄木地区は大きな被害を受けましたが、ささよに関わる寄木地区の大人も子どもも、
力強く前を見据えています。

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